日本と海外の教育文化? 鈴木達哉さんと話した「考える」ことの大切さ♪

こんにちは❗

もう8月も終わりですね~♪

社会人になって結構経ちましたが、未だに8月が終わると「もう夏休みも終わる時期だな~」と感じるのが不思議です😄

 

社会人になると、休みは業界によってバラバラですよね♪

僕の業界は会社としてお盆を休みにするところが多いですが、カレンダー通りで個々で休みを取って行く業界など様々です😄

 

今回の夏休みはゆったりと友人の鈴木達哉さんや同世代の友人達と飲んでいたんですが、その際に年齢を重ねての恋愛観の変化や、将来は子供が欲しいか。どんな教育を受けさせたいかの話に❗

特に教育観の話はかなり盛り上がりました✨

教育観の話になったのは、恋愛観の話から大学の話になったからなんですが、大学の「研究」とそれまでの「授業」はまったく違うものですよね♪

理系出身の鈴木達哉さんが話していたんですが、「答えありきで”正解を導く”授業と、様々な実験を繰り返して結果を分析し、なぜその結果になったのか。を”考える”研究。

明確な答え、正解が用意されていない。だからこそ考えるし、思う結果が出なくてもそれも1つの結果であり。不正解ではない。」

勉強が楽しくなったのも大学の研究からだそうで、社会に出たら明確な正解なんてないものが多い。だからこそ、答えありきのものではなく、出た結果に対しての原因を”考える”必要のある研究が面白かったんでしょうね😄

 

僕自身はその話を聞いたときに、エジソンの有名な名言を思い出しました❗

明王と言われるエジソンは、発明の数の何百倍もの実験を繰り返してい多と思います。

そこで思うような結果がでなかったときも、それを「失敗」とは言わないんです✨



「私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。」



カッコイイですよね~😆

大学の論文などはこのスタンスで、上手くいかなかった。思った通りの結果が出なかった実験も、その原因を分析したものをまとめて論文とすることもあるそうです。



もちろん、学校の勉強も常識や基礎知識を学び、正解を導く力を養うことができます。

しかし、あまりにも”考える”機会が少ないのではないか❓

教育でよく話題に挙がる北欧を始めとする海外の国々はもっと”考える”授業があり、個を尊重する文化なので、正解・不正解でバッサリと分けられることもないみたいです。

その分、授業の自由度も高く、自治体の裁量に任せられる部分が大きかったり、生徒の能力に合わせて内容も変わってくるそうです♪

海外の教育は生徒自らが自主的・主体的に”考えて”いくつもある答えを見つけていく教育なんですね✨



僕自身もこの話をしている中で、現在の仕事のやり方を見つめ直す機会になりました❗

仕事を完全にルーティンワークにしていないか。なぜそれが必要なのかを考えているのか。

やっぱり変化があった方が楽しいですしね😄

 

また、もっと現実的なことを言えば、考える必要のない単純労働はどんどんロボットに置き換わっていく。という問題もありますしね💦

10年後、20年後の社会・仕事がどう変わっているのかはわかりませんが、人間が”考える”部分を担い、そこに仕事が生まれることは変わらないと思います。

だからこそ、子供には”考える”力を養って欲しいし、現在の海外での教育がその力を育んでくれるなら、そんな教育を受けさせたい❗



飲みながらするにしては、結構深い話でしたね🤣

語れる友人がいるのも楽しいし、子供の話をしていたら「ちゃんとしなきゃあ~❗」と気合も入ったので、明日も今週も仕事にプライベートに頑張っていきます♪